臼杵の街の紹介

臼杵藩中級武家屋敷。
丸毛家は明智光秀の家臣斉藤家の一族で山崎の合戦後に流浪。寛永5年(1628)丸毛忠勝の外祖母が稲葉一鉄の娘であったため、3代藩主一通に200石で召し抱えられて、明治維新までその格式を保った家柄である。江戸時代後期の建築様式を残す貴重な武家屋敷で臼杵市有形文化財に指定されている。現在は無料で一般公開されている。

野上弥生子文学記念館
 野上弥生子(1885〜1985)は、99歳でこの世を去るまで数多くの文学作品を世に残し、文化勲章を受章しました。現在は生家の一部が、記念館として一般に公開されています。未発表の「明暗」に対する漱石の手紙や、絶筆となった「森」の原稿など、幼女の頃から亡くなるまでの遺品約二百点が野上弥生子の世界を物語ります。

 旧臼杵藩主稲葉家下屋敷
 稲葉家下屋敷は、廃藩置県後に東京に居を移した旧藩主の里帰りのための住宅として、明治5年につくられたものです。内部には、杉や檜といった上質の素材が使用され、式台のある玄関や書院作りの奥座敷、謁見の間である、表座敷など、殿さまを迎えるに相応しい格式あるつくりです。
内部には戦に使われた武具や、昔のお姫様が乗った豪華な駕籠など、稲葉家五万石の品々を展示しています。部屋ごとに違った趣を演出する、広々とした日本庭園も魅力的です。

よみがえった臼杵石仏
臼杵石仏は、九州の東海岸、大分県臼杵市大字中尾・深田に所在しています。この地には、切り立った丘陵の崖面に彫りだされた磨崖仏と一つの岩の塊まりを削って石像とした持ち運び可能な石仏との二種類あります。
臼杵の石仏は、阿蘇溶結凝灰岩という軟質の石に彫られているため、風化しやすく、永い年月の間に亀裂を生じたり、剥落するなど傷みがひどくなっていました。このため、1980年から1994年までの14年間、磨崖仏を中心に保存修理工事が行われました。